盛岡地方裁判所 昭和56年(ワ)434号 判決 1984年8月10日
原告
加藤カツ
外六名
右原告ら七名訴訟代理人
石川克二郎
被告
産業振興株式会社
右代表者
小澤肇
同
鈴木勝広
同
須田寅吉
右被告ら三名訴訟代理人
大島四郎
主文
一 被告らは、各自
1 原告加藤カツに対し、金九〇〇万七八一五円及び
(一) 内金一五万五〇七一円に対する昭和四一年一月一日から
(二) 内金一六万六八三四円に対する昭和四二年一月一日から
(三) 内金一七万九三七七円に対する昭和四三年一月一日から
(四) 内金二一万一七二四円に対する昭和四四年一月一日から
(五) 内金二三万六二三一円に対する昭和四五年一月一日から
(六) 内金一七万五六〇九円に対する昭和四六年一月一日から
(七) 内金一九万六三六五円に対する昭和四七年一月一日から
(八) 内金二二万〇九一二円に対する昭和四八年一月一日から
(九) 内金二九万二三二八円に対する昭和四九年一月一日から
(一〇) 内金三六万九七二〇円に対する昭和五〇年一月一日から
(一一) 内金四一万〇二五七円に対する昭和五一年一月一日から
(一二) 内金四二万八〇七一円に対する昭和五二年一月一日から
(一三) 内金四六万五三一六円に対する昭和五三年一月一日から
(一四) 内金五六〇万円に対する昭和五六年一二月二四日から
各支払済みまで年五分の割合による金員を、
2 原告加藤範雄、同加藤澄子、同加藤紀久子、同武山洋子、同滝田頼子、同鎌田睦子に対し、それぞれ金二八六万九二七〇円及び
(一) 内金五万一六八九円に対する昭和四一年一月一日から
(二) 内金五万五六一一円に対する昭和四二年一月一日から
(三) 内金五万九七九三円に対する昭和四三年一月一日から
(四) 内金七万〇五七六円に対する昭和四四年一月一日から
(五) 内金七万八七四四円に対する昭和四五年一月一日から
(六) 内金五万八五三六円に対する昭和四六年一月一日から
(七) 内金六万五四五五円に対する昭和四七年一月一日から
(八) 内金七万三六三八円に対する昭和四八年一月一日から
(九) 内金九万七四四二円に対する昭和四九年一月一日から
(一〇) 内金一二万三二四〇円に対する昭和五〇年一月一日から
(一一) 内金一三万六七五三円に対する昭和五一年一月一日から
(一二) 内金一四万二六八九円に対する昭和五二年一月一日から
(一三) 内金一五万五一〇四円に対する昭和五三年一月一日から
(一四) 内金一七〇万円に対する昭和五六年一二月二四日から
各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告らのその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は被告らの負担とする。
四 この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。
事実《省略》
理由
第一 本件事故の発生
被害者が、昭和三九年一月二九日午後五時三五分頃、岩手県西磐井郡平泉町平泉字鈴沢地内の国道四号線上で発生した交通事故により死亡したことは当事者間に争いがない。
第二 本件事故の加害者と被告鈴木との関係
本件の最大の争点は、右事故の加害車両を被告鈴木が運転していたか否かの点にある。
一ところで本件の特異性は、事故後一六年余り経過した後に、被害者の遺族らと全く関係のない一私人の調査によつてようやく加害者が突き止められたという点にある。
すなわち、<証拠>によれば、次の事実が認められる。
被害者は、当時勤務していた材木店からの帰途、前記事故に遭つたものであるが、発見が遅れ事故後五時間以上経過してようやく警察官が現場に駆け付けたため、既に現場には加害車両はおらず、しかも当時かなりの積雪があつて、事故後警察官が臨場するまでの間に事故現場付近一帯の道路上は除雪車によつて除雪されていたため、事故現場から加害車両と結びつく痕跡を発見することは難かしく、ようやく加害車両のものと思われるヘッドライトの破片小量が発見されたものの、微量のためこれによつては加害車両を特定することはできず、結局その後の捜査の甲斐もなく加害者不明のまま時間が経過し、業務上過失致死事件としての公訴時効も完成して捜査も打切りとなり事件はいわゆる迷宮入りとなつていた。
被害者の遺族らも加害者の探求は全く捜査機関に委ねており捜査を離れて独自に加害者を覚知するための調査はしていなかつた。
ところが、被告会社と取引関係にあつた訴外森川産業の常務取締役大塚栄は、右捜査及び被害者の遺族らとは全く係わりなしに秘かに本件事故の調査をすすめ、昭和五五年九月初に至り、内偵調査の結果をもとに突然被告会社釜石事業所に訴外阿部幸夫を訪ね、本件事故の加害車両の運転者・同乗者を既に覚知しているかのような口吻をもらしながら、訴外阿部も本件事故当時加害車両に同乗していたのではないかと問い質したことから、再び本件事故をめぐる動きが表面化し、さらに同年一二月頃、訴外大塚が、訴外阿部との接触の結果をもとに、それまで全く面識もなかつた原告カツ方を初めて訪れ、同女ら被害者の遺族に対し、本件事故の加害車両の運転者が被告鈴木であり、その同乗者が訴外阿部及び同大久保鶴松であつたことを告げたことから、原告らも本件事故の加害者が被告鈴木ではないかと考えるようになった。
しかも、翌五六年九月八日訴外阿部が、訴外大塚に付き添われて被害者の墓参をしたうえ、原告カツ方を訪れて同女ら遺族に謝罪し、次いで翌九日には被告鈴木が訴外大塚に付き添われて、同様に被害者の墓参をしたうえ遺族に謝罪したことから、原告らは本件事故の加害者は被告鈴木であると確信するに至つたものである。
二右に見たように、本件事故は業務上過失致死事件としては既に公訴時効が完成していて、捜査記録も保存期間の終了により既に存在せず、原告らも、独自の調査によつて加害者を覚知した訳ではなく、殆んど全面的に訴外大塚の調査結果と被告鈴木及び訴外阿部の右墓参の際の態度とに依つて被告鈴木を加害者と確信しているにすぎず、しかも訴外大塚も、被告鈴木と本件事故の加害者とが同一であることを裏付けるに足る客観的証拠を有している訳ではなく、その根拠はもつぱら本件訴訟外での被告鈴木及び訴外阿部らの供述の内容ないしその態度に依存しているのである。
したがつて本件事故の加害者と被告鈴木とを結び付ける証拠は、結局当の被告鈴木及び訴外阿部らの供述のみというべきであるが、被告らは、本件訴訟においては、被告鈴木が加害車両を運転して本件事故の日時頃、本件現場を通行したことはないと主張して、本件事故との係わりを全面的に否定していることは前記のとおりである。
三したがつて、まず被告鈴木及び訴外阿部らの供述を離れて、他の証拠によつて客観的に確定しうる事実を検討し、次に被告鈴木及び訴外阿部らの供述内容及びその信用性について検討することとする。
1<証拠>によれば、次の事実が認められる。
被害者の身体には、左鼠経部から左大腿前面上部にかけて直径約一七糎の円形変色部があり、胸腹部に左第四、第六、右第二、第三肋骨骨折の他、腹間膜に小児頭大の穿孔、S字状結腸部に手拳大の穿孔がある。また左前腕手背面の肘関節付近に皮下出血を伴う筋断裂、左膝蓋部及びその上下に鶏卵大のを含む皮下出血数か所があり、顔面には左前額部に鶏卵大の腫脹、左眉内側に鋭利な創、頭腔内には左額部に頭皮下出血、前頭蓋窩左篩骨に骨折、左右前頭葉に軟膜下出血がある。右のうち、左大腿前面上部を中心とする円形変色部は足底からの高さ、その形状からみて車両のヘッドライト部がほゞ前方から衝突したものとみられ、胸腹部の損傷はその程度からみて身体のほゞ前方から車両前部がかなり強い力で衝突したものと考えられる。右に見たように被害者の損傷部位は身体の左側部分に偏つており、身体の右側部分には右膝部内側に鵞卵大の皮下出血があり、右大腿骨が右膝関節部で内側に脱臼しているほか、右手背部に軽度の皮下出血があるのみであつて、また背部には全く損傷はない。
以上の事実からすると、本件事故は、被害者が道路右側を歩行中、前方から対向進行してきた車両が被害者の身体の中央から左側部分に衝突したものであることは動かし難い事実と考えられる。
2<証拠>によれば、次の事実が認められる。
本件事故後、被害者は本件道路の花巻市から一関市に向かつて右側(西方)にある一段低くなつた畑の中に頭を一関方面に向けてうつぶせに倒れているところを発見されているが、事故直後に付近の学校の女教師が現場を通りかかつた際には、被害者は道路端でうなつており、同女は酔客が寝ているものと思つてそのまま通り過ぎている。
したがつて被害者は、一関市から花巻市方面に向けて北進中の車両に衝突されて現場に倒れたが、即死の状態ではなく、なお自力で動こうとして誤つて道路下の畑に転落しその場で死亡したものと考えられる。
3そうして前記一でみた事故直後の捜査結果からすれば、加害車両の左前照灯は本件事故により一部破損していることは疑いない事実と思われる。
四次に被告鈴木及び訴外阿部からの供述内容につき検討するが、被告らは、正確な日時はともかくとして、本件事故に先立つ昭和三八年一二月頃、被告鈴木の運転する車両に訴外阿部・同大久保が同乗して仙台市から釜石市への帰途、国道四号線を走行中になにものかが同車に衝突してその衝撃音を聞いたことがあつたことは自認しているので、右衝突に関する事実を中心にその供述内容をみていくこととする。
1被告鈴木
被告鈴木は、その本人尋問において、大要次のような供述をしている。すなわち、
当時被告会社所有の小型貨物自動車(六人乗り)を運転し、訴外阿部及び同大久保を同乗させて仙台市まで出掛け、日帰りで釜石市まで帰つたことは一度あるが、日時は明らかでない。当時被告会社釜石事業所長であつた被告須田が泉市に自宅を新築したので、その玄関先コンクリートの補修のため資材を積んでいつたものである。その帰途、時間や場所は不明であるが、ドスンと衝突音がした記憶はある。音のした直後一旦停車して三人で車を降り、車の前後・脇をぐるつと回つて見たが格別異常はなく、ぶつかつたと思われるものも見当らなかつたので、そのまま発車して釜石まで帰つてきた。翌日車を点検してみると左右二つずつある前照灯のうち一つのガラスが割れて中央に穴があいていた。左右いずれであつたかは思い出せない。ガラスは破損していても走行中の照射には影響なかつたが、後日上司に話して部品を買つてもらい自分で修理した。
2訴外阿部
訴外阿部は、その証人尋問において、大要次のような供述をしている。
昭和三九年頃被告鈴木の運転する六人乗り小型貨物自動車に同乗して仙台市まで出掛けたことが一度だけあるが、その時の同乗者は他に訴外大久保がいた。当日の午前二時か三時頃釜石市を出発し、荷台には材木を積んでいた記憶があるが、仙台へ遊びにいくのに便乗しただけであつて途中で下車したので、目的地まで一緒に行つた訳ではない。同日午後三時頃仙台市内で再び被告鈴木の運転する車に乗せてもらい帰途についたが、運転席左隣の助手席に乗つて途中居眠りをしていたところ、急に何か衝突する音がし、急制動で体が前のめりになつた衝撃で目が覚めた。あたりは既に暗くなっていたが、被告鈴木が降りて車の回りを歩いていたこと、左サイドミラーが曲つていて被告鈴木がそれを直していたことの記憶はある。自分で降りてみたかどうかは記憶がない。右衝突音のした場所がどの辺かは全く判らない。訴外大久保も「どうしたのか」と尋ねていたが、被告鈴木は「別に何も見当らない」といつてそのまま発車し、同日午後九時頃釜石に到着した。右衝突地点付近に積雪はあつたが、車のタイヤにはチェーンを巻かないで走行していた。帰宅して夕食をすませた後、母に途中で何かに衝突したことを話したが、それが気になつて寝付かれないでいたところ、母から「お前が運転していたのか」と聞かれたので運転はしていなかつたと答えた記憶がある。右衝突音がした後も車の前照灯には支障はなかつたが、後日調べてみると四つある前照灯のうち一つが破損していたのが判つた。
3訴外大久保
訴外大久保は、その証人尋問において、大要次のような供述をしている。
昭和三八年頃、当時の被告会社釜石事業所長であつた被告須田の自宅新築のため、釜石市から泉市まで何度も資材を運んだが、建物完成後は建具の取り付けの際と玄関先のコンクリート補修の際の二回行つたのみである。後者の際は被告鈴木の運転する小型乗用車で出掛けたが、帰途後部座席に横になつていたところ、何かに衝突してドンという音がしたことはある。被告鈴木に何の音か尋ねたが、同人は何でもないというのでそのまま釜石市まで帰つた。衝突を確かめるため降車した記憶はない。右衝突音のした日時は不明だが、当日は午後四時頃仙台市を出発し、午後八時か九時に釜石市に着いたので、右衝突音がしたのは夕方頃であつたと思われる。右衝突音のした現場付近には雪はなかつた記憶であり、又訴外阿部も同乗していなかつた。
4前記被告らの自認する事実をふまえ、以上の各供述内容を比較検討してみると、日時の点はともかくとして、当時被告会社釜石事業所に所属する同会社所有の小型貨物自動車を被告鈴木が運転し訴外阿部、同大久保が同乗して、泉市にある同事業所長被告須田方の玄関先のコンクリート補修工事のため、資材を積んで深夜(午前二時か三時頃)釜石市を出発したこと、途中訴外阿部を仙台市内で降ろし被告鈴木と訴外大久保の両名のみが被告須田方に赴いて工事を終えた後、帰途再び仙台市内で訴外阿部を乗車させて三名で釜石市に向けて国道四号線を北上したこと、その途中訴外阿部は運転席左隣の助手席で居眠りをし、訴外大久保も運転席の後部座席に体を横たえていたところ、急になにかが車に衝突した音がして急停車したので、その衝撃で同乗車らも目を覚ましたこと、被告鈴木が降車して車の周囲を回つて見たが、あたりは既に暗くなつていたので衝突したらしきものはなにも見当らず、たゞ左サイドミラーが曲つていたのでそれを直してすぐに発車したこと、釜石市には当日午後九時頃帰着したが、訴外阿部は右衝突のことが妙に気になつて寝付けなかつたこと、翌日車を点検してみると左右二つずつある前照灯のうち左側の一つのガラス中央が破損して穴があいていたので、被告鈴木が自らそれを修理したこと、以上の事実は少くとも認めることができるというべきである。
五そこで次に、被告鈴木及び訴外阿部の訴訟外での供述、とくに訴外大塚と同阿部、被告鈴木との会話の内容を録取した録音テープの反訳書について、その内容を検討することとする。
1ところで被告らは、右録音テープ及びその内容を文章化した反訳書はいずれも被録取者不知の間に秘密に録音され、しかも誘導あるいは恫喝を加えて被録取者の精神的肉体的自由を奪つたうえで供述を強制しこれを録取したものであるから、違法収集証拠として証拠能力を有しない旨主張するので、まずこの点につき判断する。
<証拠>によれば、次の事実が認められる。
鉄鋼業界内部の噂から本件事故と被告会社との結び付きを推測していた訴外大塚は、昭和五四年一〇月頃からその事実関係につき内偵調査を進めていたが、確証がつかめないため直接関係者に接触して事実関係を確かめようと考え、昭和五五年九月四日被告会社釜石事業所に突然訴外阿部を訪ねて、直接同人に昭和三九年頃ひき逃げ事故を起したことがあるのではないかと尋ねたところ、同人は当初は否定していたが、しばらく後「確かに事故があつた。以来一日も忘れたことはなかつた。」といつて急に泣き崩れたので、訴外阿部と本件事故との係わりにつきかなりの確信を抱いた。そこで訴外大塚は、訴外阿部の右供述を証拠に残そうと考え、同月二七日同人を花巻市内のホテルに誘い出し、ホテル内の一室で二人きりで事故状況について詳細に会話を交わし、腕に怪我をしたかのように装つて包帯でマイクを隠して秘かに右会話の内容を収録した(これが甲第七号証のもととなつた録音テープである)。その後さらに前叙のように、訴外阿部が昭和五六年九月八日、被告鈴木が翌九日と相次いで被害者の墓参をしたが、訴外大塚はその際の同人らの供述をも証拠に残そうと考え、同月八日の墓参後自動車内での訴外大塚と同阿部との会話を秘かに収録し(これが甲第四号証のもととなる録音テープである)、続いて同日釜石市の被告鈴木方を訪ねて、同じく同車内で訴外大塚と被告鈴木とが、同阿部を交じえあるいは二人きりで、会話した内容を秘かに収録し(これが甲第五号証のもととなる録音テープである)、さらに翌九日の墓参後被告鈴木をホテルに誘い、訴外阿部のときと同様に二人の会話を秘かに収録した(これが甲第六号証のもととなる録音テープである)。
以上の各会話においては、訴外大塚が本件事故の加害者と被告鈴木とを結び付けようとし、あるいは本件事故の発生を被告須田ら被告会社幹部も承知していたとの言質をとろうとして、積極的に誘導している点は見られるが、恫喝ないし強制に及んだ形跡は全く見受けられず、特に訴外阿部は真摯な供述態度をほゞ貫いている。以上の事実が認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。
してみると右録音テープは、その作成手続において被告ら主張のような精神的肉体的自由の拘束下に強制された供述を録取したものとは認められず、したがつて被録取者不知の間にその供述内容を録取した証拠としてその証拠能力を検討すべきものである。
一般に被録取者の同意を得ない録音はプライバシーを侵害する違法な行為というべきであるが、民事訴訟法にはかかる違法な手段方法によつて入手した証拠の証拠能力に関する規定はない。しかしながら、法律上これを制限する規定がないからといつて直ちにその証拠能力を肯定するのは相当でなく、民事訴訟法の基本原則である公平の原則に照らし、かかる証拠を事実認定の資料に供することが著しく信義に反すると認められる場合にはその証拠能力は否定すべきである。被録取者が身体的精神的自由の拘束下で供述を強制されその内容を録取された場合のように、証拠の入手方法に強度の違法性が認められる場合には、将来の違法行為の抑制の見地からもその証拠能力は否定すべきであろう。しかし他方、訴訟における真実発見の要請をも考慮するとき、一般的人格権侵害の事実のみで直ちにその証拠能力を否定するのは妥当でなく、会話の内容自体が個人の秘密として保護に値するか否か、とりわけその内容が公共の利害に関する事実か否か、訴訟において当該証拠の占める重要性等を総合考慮したうえその証拠能力の有無を決するのが相当と解すべきである。
これを本件についてみるに、右録音は、ホテルあるいは自動車内での訴外阿部及び被告鈴木の発言内容を単に同人ら不知の間に録取したものであるにとどまり、しかもその供述内容は一六年間余の長きにわたり秘匿されていた同人らの犯罪行為に関するものであつて重大な公共の利害に関する事実であり、かつ本件訴訟中に占める証拠としての重要性も非常に大きいものがあるから、右録音テープは証拠能力を有するものと認めるべきである。
2そこでその内容について検討するが、録音テープの存在については被告らも明らかに争わず、証人大塚栄の証言によつて同人と訴外阿部との会話を録音したテープの内容を文章化したものと認められる甲第七号証によれば、訴外阿部は訴外大塚に対し、大要次のような供述をしていることが認められる。
被告鈴木の運転する車に同乗して仙台市に行つた当日は夕方仙台市を発つて帰途についた記憶がある。途中助手席で寝ていると急にボーンという音がして車が停つた。被告鈴木と共に車から降りて周りを見てみたが、左サイドミラーのところに確かに物が当つた形跡はあつたが、人の姿は全く見当らなかつた。帰りの車中では恐ろしくて押し黙つたまま帰つてきた。家にもふるえながら帰つた記憶がある。帰宅してすぐ母に衝突のことを話したところ、母は「お前は間違いなく運転してないな」と聞くので、「俺は絶対に運転はしていない」と答えたことを憶えている。衝突当時雪が深く暗かつたし被害者の姿を見ていないので、被害者は本当に被告鈴木運転の車に当つて死んだのかなと思う気持もあるが、やはり被害者が衝突したのは我々の車に間違いないと思つている。被告鈴木とは事故以来互に事故のことには触れないようにしてきたが、訴外大塚が釜石事業所に訪ねてきた後被告鈴木に事故のことを話したところ、それ以来同人は考え込んでしまいげつそりとやせてしまつた。自分も苦しんだ挙句一度海に飛び込んで死のうと思つたこともあつたから、運転していた被告鈴木にしてみればその苦しみは人一倍だと思う。
3又録音テープの存在については被告らも明らかに争わず、証人大塚栄の証言によつて同人と被告鈴木との会話を録音したテープの内容を文章化したものと認められる甲第五号証によれば、被告鈴木は訴外大塚に対し、大要次のような供述をしていることが認められる。
仙台市から釜石市に帰る途中なにかにぶつかつた音はしたが、それが人であつたかどうかは判らなかつた。現場を離れた後引き返そうかとも考えたが、ぶつかつたのがはつきり人だとはいえなかつたし同乗者も気にしなくてもいゝというのでそのまま釜石市まで帰つた。翌日新聞を見て衝突したのが人であつたと判つたが、会社の上司には事故のことは報告しなかつた。
4右のうち、訴外阿部の供述内容は、同人自身現場で降車して周囲を確認したとする点及び被害者に衝突したのは被告鈴木運転の車両であつたと思うとかなり明確に述べている点において同人の前記証言とかなりの相違があり、他方被告鈴木の供述内容も、同人自ら本件事故の加害者であることをほゞ肯認している点において同人の本人尋問における供述とは著しい相違をみせているが、その内容からみて右各供述が信用しうるならば、叙上認定の各事実とも照らし合せて、本件事故は被告鈴木の運転する車両によつて惹起されたものと優に認定することができるというべきである。
5そこで次に右各供述内容の信用性につき検討する。
(一) 被告鈴木の右供述が同人の被害者への墓参の前日になされたものであることは前記のとおりであるが、<証拠>によれば、右墓参の際の状況は、次のとおりであつたことが認められる。すなわち、
被告鈴木は、訴外大塚と訴外阿部とが昭和五六年九月八日夜訪ねてきて被害者への墓参のこと、遺族のことなどを聞かされたことから勧められるまま墓参することにし、翌九日訴外大塚の案内で被害者の墓に参つたが、事前に連絡を受けていた遺族や報道関係者らが注視している前で、黙つて涙を流しながら花束を供えて拝み、さらに墓碑に抱きつくようにしてしばらく泣き続けていた。その後同人は、その場でその態度を見守つていた原告カツの手をとつて「お詫びの仕様もありません」と泣きながら謝罪し、続いて原告加藤紀久子の夫である訴外加藤曻の手をもとつて申し訳なかつたと謝罪し、右加藤曻から「どうして被害者を病院に運ばなかつたのか」と詰問されると「同乗者がなんでもないといつたのでそのまま運転して帰つてしまつた」と弁解していた。
右のように、墓参の際の被告鈴木の態度は、本件事故の加害者であることの自覚がなければ到底なしえない態度というべきであつて、真実同人に加害者の自覚がなかつたのであれば墓参や謝罪をすべき理由も必要もなかつたはずの遺族らに対しかかる態度をとつたことは、長年うつ積していた真情が一挙に吐露されたものと見る以外に合理的な理解はなしえないというべきである。
被告鈴木は、その本人尋問において、かかる態度は訴外大塚に欺かれてなしたものである旨供述するが、右のような迫真性のある態度は他からの欺罔や強制によつてなされたものとは到底認められない。
してみると、右墓参の前日なされた被告鈴木が本件事故の加害者であることを自認する供述も、同人の真意に基づく供述と認めるべきである。
(二) 一方、訴外阿部の右供述は、同人が訴外大塚と出会つてまもなくの頃なされたものであることは前記のとおりであるが、同人は、訴外大塚が最初なんの前触れもなく釜石事業所を訪れ、突然本件事故のことを切り出した際既に会話途中で急に泣き崩れるなどして本件事故との係わりを肯認していたことは前記五1で認定したとおりである。
そして<証拠>によれば、その後訴外阿部が前記墓参をした際にも、花を供えた後墓碑の前に泣き崩れ手をついて謝るなどし、その足で原告カツ方を訪れた際にも、仏壇に花を供えた後原告カツに対し「私にも責任がある」といつて泣きながら謝罪していたことが認められる。
訴外阿部の右のような態度は、本件事故との係わりを認識している者でなければ到底とりえない態度であつて、とくに本件事故に関しては全くの第三者というべき訴外大塚が突然訪ねてきた際に本件事故との係わりを既に自認していることは、それが自発的になされているだけに、同人がそれまでの間事故の責任に悩みながらも口外することもできず苦しんでいたことを裏付けるに十分なものというべきである。
したがつて訴外阿部の右供述も、同人の真意に基づくものと認めるのが相当である。
(三) 以上のように、被告鈴木及び訴外阿部の右各供述は十分に信用できるものというべきであり、したがつて右各供述によれば、右両名共本件事故当時から被告鈴木運転の車両が被害者に衝突したとの事実を認識していたものということができる。
六以上の検討結果に従い、前記三1ないし3で認定の客観的事実、同四4で認定の被告鈴木らの行動並びに同五5(三)で認定の被告鈴木らの加害行為の認識等の諸事実を総合すると、本件事故の加害者は被告鈴木であると認めるべきである。すなわち、本件現場道路右側を花巻市方向から一関方向に向けて歩行中の被害者に対し、対向北進してきた加害車両の左前部が衝突したとの客観的事実は被告鈴木運転車両の進行方向や同車の左サイドミラーが衝突により曲つたとの事実によく符合し、事故現場に前照灯のガラスの破片が落ちていたとの客観的事実も被告鈴木運転車両の左前照灯の一部が破損していた事実と符合するうえ、被告鈴木らの衝突直後の行動も衝突したのが単なる物ではなく人であつたことを窺わせるに十分であり、しかも被告鈴木ら自身それを認識していたのであるから、本件事故の加害車両は被告鈴木運転の車両であつたといわざるを得ない。
被告ら主張のように、訴外大塚が本件事故の加害者を調査追求した主観的意図が奈辺にあろうとも、右事実関係からすればこれを左右するものとは到底いうことができない。
第三 責任
一被告鈴木の責任
前記第二、三、1で認定した事実によれば、被告鈴木は加害車両を運転して本件事故現場を一関市方面から花巻市方面に向けて進行中、本件事故現場において道路西側端を同車に対向して歩行中の被害者に衝突させたことが認められるが、これは被告鈴木に前方注視義務を懈怠した過失があつたことを推認させるものであるから、同人は民法七〇九条に基づき本件事故により原告らに生じた損害を賠償する責任がある。
二被告会社の責任
本件事故の加害車両が被告会社所有のものであることは前記認定のとおりであるから、被告会社は自賠法三条に基づき本件事故により原告らに生じた損害を賠償すべき責任がある。
三被告須田の責任
被告須田が本件事故当時被告会社釜石事業所長であつたことは当事者間に争いがなく、前記第二、四で認定した事実によれば、被告須田は本件事故当時被告会社釜石事業所長として、同事業所に勤務する従業員の指揮監督の任にあつたところ、右地位を利用して当時同事業所で整備担当職員であつた被告鈴木らに対し泉市に新築した自宅の補修工事を命じ、これに応じた被告鈴木が加害車両に資材等を積み込んで被告方まで赴き、その帰途本件事故を惹起したものであることが認められるから、被告鈴木の右運行は直接には会社の業務自体ではないとしても、被用者・監督者の関係を利用してなされた会社業務に密接に関連した職務というべきであつて、被告須田は被告会社の事業執行の代理監督者として民法七一五条二項に基づき本件事故により原告らに生じた損害を賠償すべき責任がある。
第四 損害
一逸失利益
<証拠>によれば、被害者は明治四二年四月二七日生れの当時五四才の男子であり、近所の材木店に経理事務員として勤めるかたわら書道教授として自宅で五・六人の生徒に書道を教えていたので、当時の収入は少くとも年収四〇万円を下ることはなかつたと考えられる。また第一二回生命表によれば同年令の男子の平均余命は19.73年であり、被害者は満六七才(昭和五二年)までは稼働可能であつたと考えられるので、昭和四〇年以降昭和五二年まで各年度賃金センサス産業計企業規模計男子労働者学歴計による各年度ごとの年間平均給与額を基礎に生活費控除割合を三割五分として計算すると、被害者の昭和四〇年以降各年度の逸失利益は別表記載のとおりとなる。
二相続
<証拠>によれば、被害者の相続人は、妻である原告カツ及び子であるその余の原告らのみであることが認められるから、被害者の逸失利益の賠償請求権のうち、原告カツはその三分の一金三六四万一一五一円を、その余の原告らは各その九分の一金一二一万三七一四円をそれぞれ相続により取得したことになる。
三葬儀費(原告カツ負担)
<証拠>によれば、被害者の葬儀費として金一〇万円以上を要したことが認められる。
四慰藉料
<証拠>によれば、被害者は当時同居していた原告カツ、同滝田頼子、同鎌田睦子ら家族の生活をその収入によつて維持していたことが認められるところ、本件事故により一家の主柱ともいうべき被害者を一瞬にして失つた原告らの衝撃は深刻であり、しかも叙上の事実からすれば、本件事故後に加害者らが車両の周囲のみでなく、周辺をも慎重に見分していれば被害者を発見することもできたのではないかと思われ、事故直後にはいまだ息のあつた被害者を早期に発見していれば生命までは失わないですんだ可能性もなくはなかつたと考えられるだけに、加害者らがなんら救護の手だてを尽さず被害者を現場に放置したまま立ち去つたため、まもなく被害者は現場で絶命し、その後約一六年間もの長期間にわたつて加害者不明のまま経過したことを考えるならば、その間の残された原告らの悲しみ、悔しさ、憤りは筆舌に尽し難いものがあるというべく、原告らの精神的苦痛は甚大であるから、これを慰藉するには原告カツに対し金五〇〇万円、その余の原告らに対し各金一五〇万円の慰藉料を支払うのが相当である。
五以上によれば、原告らの損害額は、原告カツが金八七四万一一五一円、その余の原告らが各金二七一万三七一四円となる。
六損害の填補
弁論の全趣旨によれば、請求原因4項の事実を認めることができ、これに反する証拠はない。
したがつて原告らの損害賠償は、原告カツにつき金八四〇万七八一五円、その余の原告らにつき各金二六六万九二七〇円となる。
七弁護士費用
本件記録によれば、原告らが本件訴訟の提起・遂行を弁護士に委任したことは明らかなところ、本件事案の性質・内容、損害額等本件に顕われた一切の事情を考慮すると、本件事故と相当因果関係のある弁護士費用としては、原告らの請求通り原告カツにつき金六〇万円、その余の原告らにつき各金二〇万円を認めるのが相当である。
第五 結論
以上検討の結果によれば、被告らは不真正連帯の関係で本件不法行為に基づく損害賠償として原告カツに対し金九〇〇万七八一五円及び内各年度ごとの逸失利益に対する各翌年一月一日から、内慰藉料と弁護士費用とに対する遅滞の日以後であることの明らかな本訴状送達の日の翌日である昭和五六年一二月二四日から各支払済みまでいずれも民法所定年五分の割合による遅延損害金の、その余の原告らに対し各金二八六万九二七〇円及び内各年度ごとの逸失利益に対する各翌年一月一日から、内慰藉料と弁護士費用とに対する前同様昭和五六年一二月二四日から各支払済みまで前同様年五分の割合による遅延損害金の、各支払義務があるというべきであるから、原告らの本訴請求は、右の限度で正当としてこれを認容し、その余は失当としてこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条但書、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。
(小原卓雄)
別表<省略>